「対話のはな」とは
「対話のたね」に寄せられたみなさんの声と大原理事長の応答による対話の様子をお伝えします。
91号の「対話のたね」の言葉に、多くの皆さんからお考えが届きました。
ありがとうございます。その一部をご紹介いたします。
皆さまからの投稿(一部)
「この世界に望む変化」って何なんだろうと考えました。「世界に望む」ということは、目の前に世界があって、それを見渡していて、そこに飛び込んでいくようなさまを想像したりします。何か凛とした決意があるようで、不安もあるけれど、新しい世界への希望もある。そんなドキドキワクワクの心持ちを感じます。そんな「変化」に「成りなさい」というのは、とても動的だし東洋的にも感じます。水の流れや天を舞う龍のように、何かが動き続けるような、変わり続けるようなイメージを受け取りました。
(ひでを 様)
「世界」というと、自分一人で変えられるものではない…と感じてしまいますが、求めてばかりでなく、まずは自分が行動することが大切だということを伝えたいのでしょうか。たしかに、この世界は一人の人がたくさん集まってできているので、一人ひとりの考えや行動が世界に関わってくるか、と気づきました。「自分一人の票では変わらない、と選挙に行かない人がいる。しかしその一票が大切」みたいなものに近いかなと感じました
(匿名希望 様)
この言葉を見た瞬間、こう思いました。「ああ、そう思って生きてきたよ、何十年も」。でも、よくよく意味を考えてみると……、「この世界に望む変化って、誰が誰に対して望むの?」という疑問がわいてきました。文字通り受けとめれば、「自分が世界の誰かに対して」だろう。もしそうであれば、「人任せにするんじゃなくて、自分でやれよ」という意味だと解釈できます。その解釈で正しければ、たしかに私はそう思って生きてきました。いまだに何も成し遂げていませんが。
そこでネット検索。原文は(若干違う説もありますが)次のような表現です。「You must be the change you want to see in the world.」 なんと「be」! あり方? 自分が変化させようとするのではなく、自分が変化になる? ちょっと深すぎて、にわかに理解できません。と同時に、私には到底できそうにありません。「諦めよう」と思いつつ、「自分のあり方、変化させなきゃな」という心境です。
(INUJ 様)
種をまいた者から
そもそも私たちは、「変化」なしに自分を語ることができません。自己の語りは変化の物語でもあるのです。一方で、私たちは、時に「変化」を避けようとすることがあります。特に生活に満足している時はその傾向が強くなり、語りは変化しません。しかし、ガンジーは、そうした私たちに対して生き方の挑戦状を堂々と叩きつけます。「この世界に望む変化」と「あなた自身が成る」とは何かを考えることを強要しました。「自己中心的な私という視点での変化の物語」から、「世界の中の私という視点での変化の物語」を紡ぐようにと。挑戦状をもらったら、それを受けるか、破るか、はたまた無視するか。その選択が、私たちの生き方を決めるのかもしれません。