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「対話のはな」とは

「対話のたね」に寄せられたみなさんの声と大原理事長の応答による対話の様子をお伝えします。

93号の「対話のたね」の言葉に、多くの皆さんからお考えが届きました。

ありがとうございます。その一部をご紹介いたします。

対話のたねvol.93

皆さまからの投稿(一部)

 この言葉は、胸をざわつかせます。動物には「今」しかありません。でも、人間には今も、過去も、未来もあります。過去を振り返り、未来を見通せるのは素晴らしい力ですが、その才能が選択を増やし、苦悩を生みます。どの道を選べば正解なのかわからなくて迷子になります。だからこそ、人は自分らしさ、自らの進む道を見つけようとして、もがくのかもしれません。人生の岐路に立つ時、私たちはただ進むだけではなく、進む「意味」まで問われるのですね。

(明日を考えるリス 様)

 道を選ぶことができる人に生まれて良かった。道を選べなかったら、ずっと、親の言うがままに生きていたり、ずっと、国や体制の中で道を選ぶことができなかったら、あるいは、周りを気にして、周りが期待する道ばかり選んでいたら……ずっとそうやってるとそれが当たり前になってしまうけど、人生に対してワクワクすることを感じないまま、生涯を終えるかもしれない。道を選ぶことが、繰り返しの日常を変化させていき、記憶を増やし、思い返し、幸せを感じ、日々を充実させていくのかな。
 道を選べる、というのは、自分で選択できるということ。選択できるというのは、自由ということ。自由でいるというのは、自分で選択することを選んだことか。そんなややこしい話、人間だけだな。人は道を選べる。あー、良かった。

(匿名 様)

 うちのワンコを見ていると、犬の人生の方が楽しそうだなと思いますが、確かに人とは違うんですよね。
 「道を選べる」と聞くと、人で良かったと思うと同時に、選択の怖さも感じます。どうやって道を選ぶのか、何が道を選ばせるのか、選んだ責任をどうとるのか……。大原先生もその思いを「る」の強さに込めたような気がしてなりません。
 自分だけではなく、周囲も変えてしまう可能性のある選択。けれども、その葛藤は自己概念の成長には重要な機会なのでしょう。自分で選択し、それを受け入れることで成長していく。選択を通じて人は自己をより深く理解し、固定観念を壊し、新たな自分を見つけることができます。そしてそのプロセスが、自己概念をより成熟した、柔軟で強いものにしていくのでしょう。そんな思いを「る」に込めましたよね、大原先生。ね。

(塾長 様)

種をまいた者から

JCDA理事長 大原 良夫

 人間の発達のプロセスには、「選択」と「適応」という2つの側面があると言われます。皆さんが取り上げてくれた「将来展望」「自由」「自己成長」は、人間の「選択」の意味の深さを感じさせてくれます。「選択」は自己のありようの基盤によってなされると思います。ただ、私たちは時として「選択」できない状況に陥ることがあります。そんな時は往々にして「適応」ばかりに関心と時間をかけてしまいがちです。「適応」は動物でもできますが、適応しているからこそ「なぜ環境に適応するのか」という実存的な問いを自分に発することができます。その問いが、「選択」の意味を自分なりに考えることになるかもしれません。映画『エデンの東』では、「人は選択できる」のセリフの次に「道を選ぶことが人間の資格なんです」と続きます。