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「共に生きる」というテーマ

日本キャリア開発協会会長 立野 了嗣 日本キャリア開発協会会長 立野 了嗣

 先日「共に生きる」セミナーを受講生として受けました。たくさんの気づきがあり、いい経験をしました。
 世界のあちこちで紛争や偏見による分断や差別など、人間の愚かさを毎日のようにニュースで見かけます。私たちCDA、キャリアカウンセラーになすすべはないのか、と思ったりもします。

キャリアカウンセリングで何ができるのか?
キャリアカウンセリングで何をしたいのか?
キャリアカウンセリングで何をめざすのか?

 こんなことを改めて考えてみたいと思います。

 キャリアカウンセリングの目的は「自己概念の成長」です。そして、この成長が向かう先にあるのが「共に生きる」というビジョンです。
 私たちは一人で生きるのではなく、誰かと関わり、“つながり”の中で生きています。自己概念が成長するとは、単に「自分を理解する」だけではなく、「誰と、どのように共に生きるか」を問い直すことでもあります。
 自己概念の成長には構造があります。ある出来事に出会うとき、心の中に「揺らぎ」が生まれます。その小さな反応が語り直され、意味を持つとき、自己理解は変化し、自己概念は新しい形を帯びます。そして、その変化した自己がまた次の出来事に出会い、新たに意味を与える。こうした運動が繰り返されることで、自己概念は広がり、他者との関わり方も深まっていきます。

取引と共存

 「共に生きる」とはどういうことか。これを考える一つの例として、イソップ物語「アリとキリギリス」を取り上げたいと思います。
一般的には、勤勉なアリと怠け者のキリギリスという対比で語られます。夏の間、歌って暮らしたキリギリスは冬に向かい、食べ物がなくなり、アリのところに物乞いに行きます。寓話の原型では、アリはキリギリスの要求を断り追い返すという厳しいものですが、もしアリがキリギリスに「取引」を持ちかけたらどうでしょう。
「君の音楽で私たちの労働を励ましてくれ。その代わり、私たちが君に食料を分けよう」
そうすれば、この物語は競争や対立の物語ではなく、互いを生かす共存の物語へと変わるように思います。

ただし、「取引」という言葉には冷たい響きもあります。現実の国際交渉を思い浮かべてみましょう。トランプ政権下で実施された関税政策は、その典型でした。アメリカ・ファーストの名のもとに鉄鋼やアルミに高い関税が課され、日本を含む同盟国に譲歩を迫る形となりました。そこに「共存」や「互いを生かす」という言葉はなく、「どちらが得をし、どちらが損をするか」という駆け引きが前面に出ていました。結果として、両国の信頼は揺らぎ、心の通い合いはほとんど見られませんでした。

この例が示すのは、取引が単なる利害の衝突に終わると、人と人との関係は冷え、共に生きる未来は描けないということです。逆に、アリとキリギリスの物語のように「お互いを生かそう」という思いやりが背景にあれば、取引は共存を目的とする契約に変わります。
キャリアカウンセリングも同じです。技法や理論だけが先立っても、人は安心して心を開くことができません。背景に「思いやり」があるからこそ、相談者は自分を語り、新しい自己理解へと踏み出すことができるのです。

帰属意識と個性の発揮

新入社員の歩み

 共に生きる自己概念を考えるとき、大切なのは「帰属意識」と「個性の発揮」の両立です。これを、たとえば新入社員の歩みで見てみましょう。
 入社して間もない頃、彼や彼女が最初に取り組むのはコピー取りや電話対応、雑務の手伝いなど、ごく小さな仕事かもしれません。右も左もわからない中で叱られたり励まされたりしながら、「まず部署の一員として役に立ちたい」と頑張ります。この段階で光るのは「丁寧に仕事を仕上げる個性」や「真面目に取り組む姿勢」かもしれません。

 数ヵ月から数年が経つと、部署を超えて部門全体のプロジェクトに関わる機会が出てきます。ここで必要とされるのは、他部署の人と協力し合う調整力です。単に自分の役割を果たすだけでなく、相手の立場を理解し、全体を見渡す目が求められます。「調整役としての個性」や「人をまとめる力」が発揮される段階です。

 さらに経験を重ねると、会社全体の方向性や経営方針に触れるようになります。自分の小さな行動が、会社のブランドや信頼に直結していることを知るとき、責任感は大きく変わります。「私は会社を代表している」という意識が芽生え、「信頼を築く個性」や「先を読む力」が発揮されていきます。
 その先にあるのは「市場」や「社会」です。顧客の期待に応えることはもちろん、社会全体に価値を届けることが自分の仕事につながっていることに気づく瞬間があります。新しい商品やサービスを提案したり、異なる文化や価値観を持つ人と協働したりする中で、「新しい価値を創造する個性」が求められます。

 このように、部署から部門、会社全体、さらに市場や社会へと帰属対象が広がるにつれて、発揮される個性も変化していきます。その過程で自己概念は深まり、自分と社会との関わり方を問い直すようになります。これが、自己概念の成長の姿です。

楕円のダブル焦点

個人と社会

 この関係を示す比喩として「楕円のダブル焦点」があります。楕円は二つの焦点があって初めて形を保ちます。一方に偏ると楕円は崩れてしまいます。
 この二つの焦点は「個人」と「社会」を指し示しており、自己概念の成長を支える二つの要素も、それぞれ個人と社会に対応しています。
 個人の成長だけを追えば自己中心的になり、社会への帰属だけを重んじれば個性を失います。両方の焦点を大切にするとき、自己概念はより豊かに育ちます。キャリアカウンセリングは、この二重の焦点を意識しながら、人が自分と社会の間で調和を見いだすのを支える営みなのです。

結び

キャリアカウンセリングの広がりと面白さ

 キャリアカウンセリングは、単なる職業選択の支援ではありません。人が揺らぎを抱えながら意味を見つけ、自己概念を成長させ、共に生きる道を歩むのを支える営みです。
 アリとキリギリスの物語が示すように、背景に思いやりがあるとき、取引は共存へと変わります。同じように、思いやりを土台にした関わりの中で、自己概念は新しくされていきます。
 キャリアカウンセリングの魅力は、その深さと広がりにあります。個人の心の揺らぎから社会との関係までを扱いながら、人と人が共に生きる未来を支える。そこにこの営みの面白さがあります。
 知識や技法を学ぶことも大切ですが、それ以上に、人と人とが共に生きるための思いやりを大切にすること。それが私たちの活動の根幹です。協会の仲間として、この広がりと興味深さを共に味わいながら歩んでいきましょう。