がんは特別な誰かの話ではなく、仕事や人生にも関わる身近なテーマ。
患者さんが必要なときに相談できる関係を
CDAのみなさんと一緒につくっていきたい。
「りぼら」でお世話になっているボードゲーム「がんノートJOURNEY」。今回は、そのゲームの制作者でもあるNPO 法人がんノート代表理事の岸田徹さんと、佐々木理事長との対談です。
日本キャリア開発協会(JCDA)
理事長
佐々木 好
NPO法人がんノート 代表理事
岸田 徹 さん
がん患者さんのインタビュー動画を配信する「がんノート」
岸田さんのお仕事と、これまでの経緯を教えてください。
岸田 がんの経験者さんにインタビューして、その映像をYouTubeで配信する「がんート」という活動をしています。
きっかけは社会人2年目でがんになったことです。「胎児性がん」という、めずらしいがんでした。
24 歳で症状が出て、25歳のときに告知されました。手術後に呼吸困難になって、もうダメだと思ったとき、後悔することが三つほど頭に浮かんできました。
一つ目はもう少し親孝行しておけばよかったという後悔、
二つ目は色々な人に恩返ししておけばよかったという後悔、
三つ目は自分のやりたいことを大切にしてこなかったという後悔です。
すぐ治療を受けて、なんとか生きながらえたとき、親孝行は「まず生き延びる」こと、恩返しは「会社にちゃんと復帰する」ことだと思いました。
三つ目のやりたいことを考えたとき、がんになって「友人にどう打ち明けるか」「お金はどうするか」「仕事にどう復帰すればいいか」「髪の抜けた外見をどうしたらいいか」などの疑問について、
患者会などを通して知ったがん経験者さんの情報がすごく役立って、それが励みになったことを思い出したんです。
同じように苦しんでいる患者さんはたくさんいるだろうな、自分も周りの人に支えられた分、何かできることがあるかもしれないな。
そう思って、情報発信が大事と考え、治療中にブログをスタートしました。
ブログで発信していると、知人の紹介でニコニコ生放送に出演することになりました。医療者と最新の論文を見るという番組だったんですが、
画面に色んなコメントが流れてくるじゃないですか。それに答えていたとき、「あ、この双方向性が、僕のやりたかったことかも」と思ったんです。
佐々木 ブログとはちょっと違ったんですか?
岸田 はい。ブログで「辛かった」と書くと、「辛い」っていう文字そのままですが、映像だとその辛さのニュアンスがわかるじゃないですか。
佐々木 それで動画の配信を始められたんですね。
岸田 はい。でも、お金とか家族とか後遺症とか、生活に関することって、患者会でも聞いたら教えてくれるけど、自分から言う人はあまりいない。僕自身もそうです。
だから聞き役が必要だと思って、インタビューにしました。
実は大学のときに世界一周して、海外にいる日本人にインタビューして回った経験があるんです。
その経験と、勤め先がインターネットの会社だったこと、それに自分のがんが掛け合わさって、がんノートの活動になりました。
今は週に1回、木曜日20時から、患者さんの治療だけじゃなく、日常生活にフォーカスして配信しています。
佐々木 大学のときに、海外で日本人にインタビューしたんですか?
岸田 はい。英語は苦手だったんですが、世界を回ってみたいという思いは中学生の頃からあって、大学ではESS(英語研究会)に入りました。それで大学4年生のとき、半年間バックパックで世界を回りました。
佐々木 どんなルートで行ったんですか?
岸田 中国、東南アジア、インド、中東、アフリカ、ヨーロッパ、南米、北米の順番です。もう会社の内定は出ていたので、最初の中国で上海支社の支社長に会いに行ったんです。
そこで「なにか旅のテーマを持ったほうがいいよ」とアドバイスされ、話すうちに「海外で働いている人に話を聞いてみたら?」と提案され、
「じゃあ、1カ国1人以上インタビューしてみます!」と。
それで新しい国に着いたら日本企業にいきなり電話して、会ってインタビューさせてもらいました。
帰国したときは、そんな経験もあって「俺、何でもできるわ!」という達成感もあったんですが、入社してみると営業成績はビリ。社会の厳しさを思い知りました。(苦笑)
100 回続ければ見える景色があるんだな、とわかった
「がんノート」は何回ぐらい続けようと思っていたのですか?
岸田 2014 年に始めて、まず100 回やってみようと思いました。というのも、就活ですごく苦労したとき、
師匠みたいな居酒屋の店主から「あなたは100 回落ちたらいけるかも。100 回失敗しろ」と言われ、本当に100 回落ちるために100 社以上受けたんです。
僕は量をこなして摑んでいくタイプなんでしょうね。だから、100 回やったら何か見えてくるんじゃないかと思ったんです。
佐々木 何が見えてきました?
岸田 30回ぐらいやったら「ちょっと面白いことをやってるぞ」と思われたようで、国立がん研究センター中央病院の場所を借りられるようになりました。
60 回ぐらいで色々なメディアで取り上げられるように。で、90 回になったら、某保険会社のCM に出させていただくことに……。
佐々木 あの有名な(笑)、素敵なCM でした。
岸田 節目節目で色々取り上げてもらって、輪が広がっていった感じです。100 回やったら見える景色ってあるんだなと思いました。
2018 年に、ベースの「がんノートorigin」が100 回を超え今年6 月に200 回を迎える予定です。他に「がんノートmini」というのを100 回、「がんノートnight」も155 回やっているので、累計450 回近くになります。
今は、過去にインタビューした400 人以上の動画のダイジェスト版も作っています。過去の動画って見られにくいのですが、内容は普遍的なので、ぜひ前の患者さんの話も聞いてほしいんです。
YouTube ショートなどの挑戦もしています。がんノートを通して、患者さんの素晴らしい話をたくさん知りました。
発信し続けていると、見てくれた患者さんが「次、出たいです」と応募してきてくださるサイクルも生まれています。「治療中、がんノートを見てました」と言う方とお会いすると、やってよかったと思います。
佐々木 周りの人に岸田さんの活動が見えて講演やCM などに繋がったのだと思いますが、そのプロセスで岸田さんのほうから見えたものは何でしたか?
岸田 100回やってきても患者さんの環境ってまだまだ思っていたよりも変わってないと思いました。
がんになって、暗く沈んで、偏見で辛いこともある、それでも笑って輝ける社会を作っていきたいのに、そうなっていない。
ただ、変わったこともあります。SNSが発展して、色んな人が発信するようになって、色んな情報が手に入る環境になってきました。
佐々木 それでも患者さんの置かれた環境の変化は遅い?
岸田 そうなんです。医療は進んでいるし、芸能人ががんを公表する世の中になってきたのに、「周りに言わないほうがいいんじゃないか」と言われた、と先日インタビューしたがん経験者の方もおっしゃられていて、
まだまだ変わってないと思いました。2人に1人は罹るんだから、もっとオープンにできて、普通に話し合える世の中になれば、周りの考えも変わってくると思うんですけどね。
やっぱり「がん」っていう言葉が重いのかな。
佐々木 私はこれまで人事や組織の管理職が多くて、「がんに罹患したので働き方を調整したい」と打ち明けられることもありましたが、同時に「ほかの人には絶対に言わないでほしい」と口止めされることもありましたね。
一本の動画が、誰か一人にでもヒントになればいい岸田 働く世代が仕事を中長期休むと、伝えてなかった場合、精神的に病んだんじゃないかという誤解も生まれるんです。
佐々木 病気のせいで仕事を休みがちになると、事情を知らない人から「怠けているんじゃないか」と誤解されることもあったり、ですね。
岸田 患者さんは治療だけでも大変なのに、誰に、どこまで言うかを、すごく考えるんですよ。
同じがんでも治療法が違うし、患者さんによって違うストーリーがある。だから、一本の動画が、誰か一人のためだけにでもヒントになればいいと思っています。
よく動画再生数をもっと伸ばすために芸能人とコラボしたらいいじゃんと言われるんですけど、そうじゃない。
AYA世代がん患者さんの難しさに悶々とすることも
最初は一人で始めたのが、今は組織になりましたね。法人化されたのは、いつですか?
岸田 2年経った2016年です。今は事務局があって、動画編集をする部隊とか、がん教育や研修をする部隊とか、一応組織だって動くようになりました。でも、組織を動かすのは難しい(笑)。
佐々木 うちもNPO法人ですが、活動を発展させながら事業を継続するのは大変ですよね。
岸田 JCDAさんはスタートからどれぐらい経つんですか?
佐々木 25年です。会員は今2万2000人。他の国にもキャリアの資格者の団体はありますが、これほど多くありません。100年以上の歴史がある全米キャリア開発協会(NCDA)でも会員は1 万人に満たないです。
岸田 すごい。年間にどれくらいの方が「キャリアコンサルタント」の資格試験を受けるんですか?
佐々木 当会では年間で5000人ぐらいです。ただ、私たちは単に資格者を増やすことが目的で事業をやっているのではなく、資格者を増やしながら質の向上を担保し、専門性を活かして貢献することで実現したい社会像があるわけです。
がん患者さんの置かれた環境と同じで、個人ではどうしようもない格差の中であがいている人がいる社会の現状を見ると、キャリア支援者として自分たちが何をすべきかを考えないといけないし、そのための人材なんです。
岸田 よくわかります。
佐々木 JCDAに「人生すごろく『金の糸』」というゲーム形式の自己探索ツールがあるんです。私が一般向けの無料体験ワークショップでファシリテーターを担当したとき、希少がんの方が参加されていました。
がんの特質上、同じ病気の方となかなか巡り合えなかった。また、入院しても家族がいないので、買い物ひとつにも困ったそうです。だから、「患者支援に理解がある団体とつながって、入院中の患者さんの身の回りの支援を提供する活動を展開したい。力を貸してください」と。
お話を伺って、現実的で切実な課題のひとつだと思いました。でも、JCDAとして生活支援の領域までコミットするのが本当にいいのかと迷いました。岸田さんも患者さんが置かれた状況に接し、色々と迷うことはありませんか?
岸田氏 佐々木氏岸田 僕はAYA世代(15歳~39歳)の患者さんによく話を伺うので、若い世代の方の在宅療養の困難さとか、海外では承認されているが日本では承認されていない薬を使いたいけどどうしたらよいかとか、困っている状況を伺うたびに、何かできることはないかと悶々とすることがよくあります。
佐々木 自分たちの活動を通して色々なものに紐づく社会問題に接しますよね。全方位に開くと、気持ちは動くのに何もできない。職業的なアイデンティティに固執して、できることをしなくていいのかと葛藤もします。
岸田 すごく葛藤しますね。がんを患うひとり親の困難な状況をどうにかしたいと思っても、自分だけでは何もできない。だから、「がん相談支援センターに行けば無料でなんでも相談できますよ」と知らせるとか、「動画で出演されていた患者さんの状況を教えてください」などの問い合わせには患者さんの了解を得たうえでお伝えするとか、ハブのように繋ぐ役割も意識しています。
ボードゲームを通して、がんを自分事として感じてもらう
国のお仕事など、活動の幅が広がっていますね。
岸田 医療情報も大事なので、国立がん研究センターの広報企画室でも、医療情報の発信に携わっています。社会の問題にも向き合うために、厚労省の「がんとの共生のあり方検討会」構成員にもなりました。
また、がんノートでのインタビューで伺ったがん患者さんの経験を追体験できるボードゲーム「がんノートJOURNEY」を制作しました。
自分ががんになったと仮定して、その先の人生において様々な選択をしてもらうゲームです。がんを知り患者さんに寄り添うためには、やっぱり自分事として考えてもらう必要があると思って開発しました。
非売品なんですが、がんノートかJCDAさんに相談していただければ、がん経験者がファシリテーターとして出向いてワークショップを実施できます。2025年にグッドデザイン賞を受賞しました。
佐々木 がんについての知識はあっても、当事者に近い体験の共有が必要なんですよね。
岸田 そうなんです。講演で「知った」だけでは、なかなか自分事として次の行動に結びつきません。ボードゲームという形なら、気軽にやってもらえると思いますし、現地に行かなくても誰でも参加できるようにオンライン版も開発中です。英語版も作れば、海外の方も興味を持ってくれると思います。
佐々木 がんノートJOURNEYは私も体験しました。一番印象に残ったのは、限られた時間で色々な選択をしていかなきゃいけないということ。こっちを選んだらこっちを諦めなきゃいけないという場面がこんなに増えるんだと知って、これは負荷が大きいと感じました。疑似体験であっても、新しい気づきがあります。
岸田 あと、やっぱり、がんは治療しなければ進行して経過していくってこともわかります。
佐々木 切なさも、切迫感もある。一緒に考えなきゃいけないであろう世界の枠がちょっと広がることがすごく大きいと思いました。
岸田 色々な方向性があっていいと思うんです。行政の人はストレートに支える。僕たちのような団体は変化球を交えながら様々な角度から投げ込んで、ストライクゾーンに入ればいいと思います。
佐々木 すごく共感します。行政が法制度を整えて仕組みを作っても、支えられるのは8割。こぼれ落ちる人や想定されてない状況はたくさんある。民間団体は想像力を働かせて、行政がカバーできない2割を考えて動くことが役割かもしれません。
原氏、岸田氏、佐々木氏岸田 AYA世代への啓発も大事なので、「AYAがんの医療と支援のあり方研究会」という学術団体とコラボしたイベントや、複数の大学で医学部の特別講師もさせてもらっています。
一つだけの発信だと届く人が限られるけど、一つのところに留まらず、色々な発信を掛け合わせて、様々な方に知ってもらうことを大事にしています。そのためにもフットワークを軽くしたい。
日本以外の視野も大事にしたいから、ボードゲームには海外のエピソードも入れました。
日本でがんになったと言うと、「食生活が偏っていたからでしょ」「タバコを吸っていたからでしょ」とネガティブなことを言われることがあります。
一方で、欧米では「よし、一緒に考えよう!」とオープンに支え合う雰囲気を感じることがあります。
会社でも皆で「じゃあ、どんな仕事ができるだろう」とか「これぐらい休もうか」と、一緒に考えてくれる。
そういう社会に日本もなってほしいですね。海外の学会に参加したこともありますが、学会の中に患者会のブースがあるんですよ。
佐々木 日本は違うんですね?
岸田 日本では、薬機法の広告規制や製薬業界の自主ルールがあるので、製薬企業が患者さんに向けて医療用医薬品に関する情報を自由に直接伝えることができません。また、がんの薬も同様に一般向け広告に制限があります。しかし、アメリカでは患者会のブースと製薬企業のブースが同じフロアにあり、情報交換もできて羨ましいと思いました。希少がんの情報も日本語では限られていますが、英語圏では色々あります。だから、もっと海外の患者さんのインタビューもしたいし、海外に向けた発信もしたい。幸いYouTubeの字幕も多言語に対応しています。
佐々木 私も海外のキャリア関連の学会に参加することがありますが、治療と仕事の両立支援の発表はまだ見たことないですね。日本での現状や取り組みを発信すれば、また新しいものが入ってくることもありますよね。
岸田 すごくあると思います。日本は人口が減っていくこともあって、医療品の開発マーケットとして魅力が薄い。
佐々木 日本では治験がなかなか進みづらいという話は聞きますね。
岸田 だからこそ、日本のプレゼンスを患者側からも上げてもいきたいなって思いますね。
佐々木 そういうことも、JCDAと一緒にできるといいですね。
岸田 がんノートの活動を長く続けていくためにも、組織を広げたいと思っています。JCDAさんの職員は、今20人ぐらいですか?
佐々木 専従の職員は30名弱です。その他、会員を中心に業務委託でご協力いただいて、1000人近くが毎年動いています。
岸田 すごい!
佐々木 会員さんでもそれ以外でも、一人でも多くの方と一緒に活動することで、JCDAの理念をより広く普及することができると思います。たとえ年1回でも、継続的に関わってくれる方は、JCDAの活動領域にアンテナを立ててくれたり、何らかの形でそれぞれの領域にキャリア支援や経験代謝の考え方を取り入れてくれたりします。
岸田 すごく参考になります。学習指導要領の改訂を受けて「がん教育」が全国で始まりました。僕も小中高で経験談を話すんですが、去年から患者さんたちにも行ってもらうようにしました。患者さんが活躍できる場を作りたいからです。
佐々木 岸田さんご自身が学校に赴いた回数は、どのぐらいですか?
岸田 年間40回程度なので、累計は400回を超えますね。がん教育が広がって、がん患者さんというのは周りに普通にいるんだと知ってもらえれば、変わってくるんじゃないかと思っています。
司会:JCDA 事務局長 原 洋子佐々木 岸田さんはJANPIA(日本民間公益活動連携機構)が実施する休眠預金活用事業にりぼらが採択された際の委員もなさってましたね。
岸田 「日本対がん協会」が資金分配団体で、僕は選考委員でした。休眠預金を使って活動したいという申請に、その適否を審査したんです。
僕自身、治療を終えて仕事に戻ったとき、周りと同じように働かないといけないと思って体を壊しました。
当時は相談できる人が身近にいなかったので、りぼらのような存在や、必要なときに相談できる支援者が近くにいたら、どれだけ心強かっただろうと思います。
最後に『JCDA ジャーナル』の読者であるキャリアカウンセラーにメッセージをお願いします。
岸田 がんは特別な誰かの話ではなく、仕事や人生にも関わる身近なテーマだと思っています。だからこそ、キャリアカウンセラーの皆さんにも関心を持っていただいて、患者さんが必要なときに相談できる関係を一緒につくっていけたら嬉しいです。
ありがとうございました。
岸田 徹(きしだ・とおる)
25歳で「胎児性がん」の告知を受ける。抗がん剤治療と2 度の手術を受けるが2年半後に再発。 再度手術を受け、現在は経過観察中。自身の闘病経験から「患者側の情報も医療と同じくらい大切だ」と考え、2014年からがん経験者インタビューYouTube番組「がんノート」をスタート。“ 一歩踏み込んだセンシティブな患者情報”をユーモア交え発信し、数多くのメディアにも取り上げられ、研修、講演、出版、行政の委員や教育機関での授業など、多岐にわたって活動している。
NPO 法人がんノート代表理事
国立がん研究センター企画戦略局広報企画室所属 1987年生まれ




