退職は大きな転機。人生の大きな変化に、どう備えるか ―ナンシー・シュロスバーグ先生が語る「心理的ポートフォリオ」と退職後の人生―
皆さま、日頃より大変お世話になっております。
JCDAの佐々木です。
これまでこのブログでは、転機(トランジション)理論の開拓者であり、JCDAの名誉会員でもあるナンシー・K・シュロスバーグ先生から届いたメッセージや、USA TODAYへの寄稿記事をご紹介してきました。
「マタリング(自分が価値ある存在であると実感すること)」や「自由のパラドックス」、長寿時代をどのように生きるのか、そして人生の最終章をどう豊かに生きるのか。
先生は現在も、ご自身の経験を通して「人生の転機」を問い続け、私たちにさまざまなメッセージを届けてくださっています。
今回は少し時間をさかのぼり、2025年9月20日にUSA TODAYに掲載された記事をご紹介します。
テーマは、「退職という大きな転機に、私たちはどう備えるのか」。
退職への準備というと、年金や貯蓄、生活費など、まず経済的なことを思い浮かべる方が多いかもしれません。
もちろん、それはとても大切なことです。
しかしシュロスバーグ先生は、もう一つの準備について問いかけます。
退職した最初の日、2日目、そして100日目に、自分がどのような気持ちになるのか。私たちは、その変化に備えているだろうか。
仕事を離れることで変わるのは、収入だけではありません。
自分の役割、毎日のリズム、人とのつながり、そして「自分は何者なのか」という感覚まで、大きく揺れ動くことがあります。
今回の記事には、そのような退職の心理的な側面と向き合うための、先生自身の経験と、長年にわたる研究から得られた具体的なヒントが綴られています。
先生の記事の全訳
以下に、シュロスバーグ先生の2025年9月20日付USA TODAY寄稿記事の日本語訳を掲載します。
※本稿は、ナンシー・K・シュロスバーグ先生がUSA TODAYに寄稿された記事について、ご本人の了解を得て、日本語訳として紹介するものです。
▼原文(外部サイト)
Retirement is a major transition. How to prepare for that big life change.
Nancy K. Schlossberg, Special to USA TODAY(2025年9月20日)
退職は大きな転機。人生の大きな変化に、どう備えるか
ナンシー・K・シュロスバーグ / USA TODAY特別寄稿(2025年9月20日)
映画『アバウト・シュミット』には、ジャック・ニコルソン演じる主人公が、退職祝いのパーティーで周囲から称賛の言葉を贈られている最中に、一人でこっそりバーへ抜け出してしまう場面があります。
そこに描かれているのは、意味のある仕事をしていた人生から、突然、目的のない生活へと移り、自分自身も周囲の人たちも困らせてしまう男性の姿です。
彼は、人生の方向を見失っていました。
現実の人生も、ときにフィクションを映し出します。
MIT AgeLabによれば、退職は相反するさまざまな感情を呼び起こします。仕事から解放されることへの期待がある一方で、十分なお金があるだろうか、これからの人生に目的を持てるだろうか、といった不安も生まれます。
もちろん、お金は重要です。
多くの人は、給与が入ってこなくなったことへのショックが頭から離れなくなる、私が「income withdrawal syndrome(収入が途絶えることへの心理的なショック)」と呼んでいる状態を経験します。
しかし私たちは、それと同時に、退職が心理面にもたらす影響についても、もっと話し合う必要があります。
人々は、退職した1日目、2日目、そして100日目に、自分がどのような気持ちになるのかについて準備できているでしょうか。
退職後に抱くことになる、相反する、入り混じったさまざまな感情を整理するために、退職後の生活について相談できるコーチやカウンセラー、セラピストなど、話をする相手を持っているでしょうか。
私はこれまで何百人もの退職者にインタビューをしてきました。
その経験から、退職という転機を少しでも乗り越えやすくするための方法が見えてきました。
ここでは、特に大切だと感じていることをご紹介します。
思いがけないことが起きると知っておく
私自身の話をすると、退職なんて楽勝だと思っていました。
何しろ私は、人生の転機について研究し、本を書いてきた人間です。ファイナンシャルアドバイザーとも相談していましたし、すてきな退職祝いのパーティーまで開いてもらいました。
ところが実際に退職してみると、私は何をすればよいのか分からなくなりました。
名刺に何と書けばよいのか分からない。
そもそも、これから自分に名刺が必要なのかさえ分からない。
そのとき私は、自分にはまだ学ばなければならないことがあるのだと気づきました。
私が話を聞いたある男性は、人生で二度の「退職」を経験していました。
一度目は、テレビやオフ・ブロードウェイの劇場で、舞台裏のさまざまな仕事をしていた世界を離れたとき。
二度目は、聴覚障害のある人や、複数の障害を併せ持つ聴覚障害者のための州立学校を退職したときでした。そこでは教員、校長、そして管理職として働き、大きなやりがいを感じていました。
どちらの退職も、仕事上の役割、毎日の生活、人間関係など、彼の人生を変えました。
しかし、本当に愛していた劇場を離れたとき、彼はこう感じたと言います。
「自分の一部が消されてしまったようだった」
同じ人が経験した二つの転機であっても、反応はまったく異なりました。
一つは比較的容易に乗り越えられた。
しかしもう一つは、自分のアイデンティティや人生の目的を失ったことと向き合わざるを得ない、大きな転機だったのです。
気持ちは、絶えず変化していく
退職したその日にどう感じるかは、長い物語のほんの一部分にすぎません。
そのことを私に教えてくれたのが、NASAのゴダード宇宙飛行センターで、人員削減によって職を失った人たちを対象に行った研究でした。
以前の同僚であるザンディ・ライボウィッツと私は、人員削減が行われた時期に対象者にインタビューをし、その6か月後にも再び話を聞きました。
あるアーティストは、当初、多くの人たちの気持ちを代弁するように、こう話していました。
「これは、これまでの人生で起きた最悪の出来事です」
ところが、6か月後に再びインタビューをしてみると、驚いたことに、多くの人の受け止め方が以前より前向きなものへと変化していました。
その大きな理由の一つが、NASAによる支援でした。
NASAは、一人ひとりに人事部門の担当者をつけ、新しい仕事が見つかるまでつながりを保てるようにしていたのです。
この研究から、私たちは組織による支援の重要性を学びました。
もちろん、家族や友人の支えも大切です。
仕事や生活の変化から少し距離を置き、自分に何が起きているのかを振り返りながら、そこで生まれる感情を受け止めていく。
そのための支えとして、家族や友人に加え、組織からのサポートも大きな意味を持つのです。
忘れてはいけないのは、どのような転機であっても、私たちの反応は時間とともに変わるということです。
転機の始まりに感じていることが、6か月後、1年後、10年後にも同じとは限りません。
「心理的ポートフォリオ」に目を向ける
私たちは毎月、金融資産がどのように変化したかを示す明細を受け取ります。
同じように、多くの人は年に一度、健康診断を受けます。
年齢を重ねれば、健康診断に加えて、コレステロール値などを調べるための血液検査も定期的に受けるでしょう。
それなら、私が「心理的ポートフォリオ(psychological portfolio)」と呼んでいるものについても、定期的にチェックすることには意味があるのではないでしょうか。
そもそも、自分にも心理的ポートフォリオがあると気づいている人は多くありません。
まして、それについて相談するアドバイザーを持っている人は、ほとんどいないでしょう。
けれども私たちは皆、大きな転機を乗り越えていくための資源を持っています。
そして退職は、間違いなく人生における大きな転機です。
その資源には、自分のアイデンティティを見つめること、人との関係を支えにすること、そして自分の目的に焦点を当てることなどがあります。
つまり退職を考えるときには、
仕事をしていた頃とは違う自分として、これから誰になっていくのか。
友人や家族とのつながりを、どのように豊かなものにしていくのか。
そして、これからの人生にどのような目的を見いだすのか。
そうしたことを考えていくことが大切なのです。
自分自身の「調査記者」になる
どの医師に診てもらうか、どの芝居を観に行くか、どの旅行会社を利用するかを調べるのと同じように、退職後の人生についても、自分から調べ、考え、選んでいくことができます。
退職についての本を読んでください。
すでに退職した友人や、退職後の生活を支援するコーチ、専門家に話を聞いてみてください。
自分自身のための「調査記者」になってみるのです。
そして、自分自身に問いかけてみてください。
これまでの人生で、心残りになっていることは何だろう。
かつて諦めた仕事上の夢は何だろう。
退職したらこんなことをしてみたい、と想像してきたことは何だろう。
そして、その夢のすべてではなくても、その一部分を手に取ってみてください。
たとえば、65歳から新たにパイロットになることは現実的ではないかもしれません。
しかし、米国連邦航空局に問い合わせ、パイロットを支援するボランティアなどの可能性を探ることで、その夢の一部分を実現することはできるかもしれません。
夢を見ることを始めるのに、遅すぎるということはありません。
私の娘カレンは、美術教師を退職した後、「農場で暮らしたい」と夢見ていました。
しかし、どうやって始めればよいのか、まったく分かりませんでした。
そこで、まず不動産業者に相談するところから調べ始めました。
やがて彼女は、それまで住んでいたコンドミニアムを売り、小さな農場へ引っ越し、ヤギを一頭飼うことになりました。
その一頭が、やがて25頭になりました。
今ではニューヨーク州のシープ&ウール・フェスティバルにも参加し、自分で作った美しい毛糸を販売しています。
覚えておいてください。今日の状態が、永遠に続くわけではありません。
今選んだ道をずっと歩み続けてもいい。
途中で変えてもいいのです。
ナンシー・K・シュロスバーグ
メリーランド大学名誉教授。著書は10冊あり、『Too Young to Be Old』『Revitalizing Retirement』『Retire Smart, Retire Happy』などがある。
退職で変わるのは、「仕事」だけではない
今回の記事で、私が特に心に残ったのは、
「退職した1日目、2日目、そして100日目に、自分がどう感じるのか」
という問いでした。
退職に向けた準備というと、私たちはどうしても、年金、貯蓄、住まい、これからの生活費といった「計画できるもの」に目を向けます。
しかし、実際にその日を迎えて初めて気づくこともあるのだと思います。
「肩書がなくなった自分を、どう紹介すればよいのだろう」
「朝起きて、今日は何をすればいいのだろう」
「これまで自分を必要としてくれていた人たちとの関係は、これからどうなるのだろう」
仕事を離れるということは、単に「働かなくなる」ということではありません。
役割や日課、人間関係が変わり、「自分は何者なのか」という感覚にも変化が生じます。
それは、まさに人生の大きな「転機」なのだと思います。
そして、そのときに感じる迷いや喪失感を、「退職したのだから前向きに楽しまなければ」と急いで片づける必要もないのかもしれません。
シュロスバーグ先生の研究が示しているように、転機に対する私たちの感じ方は、時間の中で変わっていくからです。
今はつらくても、半年後には違う景色が見えているかもしれない。
反対に、退職した直後は解放感でいっぱいだったのに、しばらくしてから寂しさや喪失感が訪れることもあるでしょう。
だからこそ、「退職」という一日だけを見るのではなく、その後に続いていくプロセスを支えていくことが大切なのだと思います。
「心理的ポートフォリオ」を点検するということ
もう一つ、とても印象に残ったのが、先生の言う「心理的ポートフォリオ」です。
私たちは、自分の金融資産については定期的に状況を確認します。身体についても、健康診断を受けます。
それなら、自分の「心の資産」についても、ときどき立ち止まって見つめてみる。
- 私は今、何を自分らしさの拠り所にしているのか。
- 誰とつながっているのか。
- 何を大切にしているのか。
- これから、どのように生きていきたいのか。
そんな問いに向き合う時間が、長寿化する社会の中では、ますます大切になるのではないでしょうか。
これは、退職を控えた人だけに必要なことではないと思います。
- 仕事が変わったとき。
- 役職を離れたとき。
- 子育てや介護など、長く担ってきた役割が変わったとき。
- 病気や環境の変化によって、これまでと同じようにはできなくなったとき。
私たちは人生のさまざまな場面で、「これまでの自分」と「これからの自分」の間に立つことがあります。
そんなとき、一人で答えを出そうとするのではなく、誰かに語りながら、自分の経験や思いを見つめていくことには、大きな意味があるように思います。
変化の途中にいる人を、どう支えるか
NASAの事例も、キャリア支援に携わる私たちにとって大切な示唆を含んでいるように感じました。
職を失った直後に「人生で最悪の出来事」と感じていた人たちの多くが、6か月後には違う受け止め方をしていた。
その背景には、家族や友人だけではなく、組織が一人ひとりとのつながりを保ち、次の仕事が見つかるまで支援を続けたことがありました。
キャリア支援は、「次の仕事を見つけること」だけではありません。
役割を離れた人が、その変化をどのように受け止め、新しい自分のあり方や社会とのつながりを見つけていくのか。
そのプロセスに伴走することも、大切なキャリア支援なのだと思います。
「お金」と「これからの生き方」を一緒に考える
今回の記事を読みながら、JCDAが現在取り組んでいる活動とのつながりも感じました。
JCDAでは、2026年8月30日(日)、アクサ生命保険株式会社との特別セミナー
「人生100年時代。これからの人生を、もっと自分らしく。」
を札幌で開催しました。
このセミナーでは、第1部で人生100年時代を安心して生きるための「お金」について考え、第2部では、これまでの人生を振り返りながら、これからの生き方や自分らしい幸せについて考えるワークショップを行いました。
第2部のワークショップでは、シュロスバーグ先生が長年研究されてきた『人生の転機』の考え方や、先生のワークも一部活用しています。
先生が今回の記事で語っている、
「お金の準備だけでなく、退職の心理的な側面についても考える必要がある」
というメッセージと、まさに重なるものがあるように思います。
札幌を皮切りに、今後もアクサ生命さまと他地域での開催を予定しています。
▼2026年8月30日(日)札幌開催
【参加無料・札幌開催】JCDA×アクサ生命 特別セミナー「人生100年時代。これからの人生を、もっと自分らしく。」
一度きりではなく、定期的に自分のキャリアを見つめる
そして、今回の「心理的ポートフォリオ」という考え方を読んで、もう一つ思い浮かんだのが、JCDAの
「キャリアドック」です。
JCDAでは、人間ドックで身体の状態を定期的に確認するように、自分自身のキャリア(仕事だけではなく「生き方」そのもの)についても、定期的に立ち止まって見つめる機会をもっていただきたいと思い、キャリアドックに取り組んでいます。
日常から少し離れた安心できる環境で、キャリアカウンセラーと話しながら、自分自身の仕事や生活を振り返り、強みや課題、ありたい姿、そして周囲の人や社会とのよりよい関わり方について考えていくものです。
現在、秋のリニューアル再開に向けて準備を進めています。
シュロスバーグ先生の言葉を借りるなら、キャリアドックは、自分自身の「心理的ポートフォリオ」を定期的に見つめる機会の一つとも言えるのかもしれません。
何か問題が起きてから相談するだけではなく、定期的に自分の歩みを振り返る。
今の自分が大切にしているものを確かめる。
変化しつつある自分に気づく。
そして、これからどう生きていきたいのかを、誰かとの対話の中で考えてみる。
そのような時間が、人生のさまざまな転機を生きていく私たちを支えてくれるのではないでしょうか。
▼キャリアドック
自己成長につながる専門家とのキャリアの“定期診断”「キャリアドック」
★9/26(土)10:00~ ★10/8(木)19:00~ 「キャリアドック」オンラインイベント開催!
夢の「一部分」を手に取ってみる
そして最後に、私は先生の
「自分自身の調査記者になり、夢の一部分を手に取ってみる」
という提案が、とても好きです。
人生を一から作り直すような、大きな答えを見つけなくてもいい。
昔やってみたかったことを、少しだけ試してみる。
気になっていた場所へ行ってみる。
誰かに話を聞いてみる。
新しい人とつながってみる。
そんな小さな一歩から、次の景色が開けることがあります。
キャリアとは、あらかじめ完成した道を歩くことではなく、経験し、振り返り、また次の一歩を選びながらつくられていくものなのだと思います。
「今日の状態が、永遠に続くわけではない。
今の道を続けてもいいし、変えてもいい。」
シュロスバーグ先生のこのメッセージを、退職を迎える方だけではなく、人生のさまざまな転機の中にいる皆さまと分かち合えればと思います。
そして私たちCDAも、一人ひとりが自分自身の経験を見つめ、これからの生き方を考えていく時間に、共に伴走できる存在でありたいと思います。
JCDA理事長 佐々木 好
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